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【仕事人を訪ねるVol.1】浅倉畳店/5代目浅倉伸さん・6代目浅倉一哉さん

地域に根を下ろし働く人たち。彼らの生業とそこから見えてくる仕事人の想いを探ります。

明治元年からの襷をつなぎこの地で200年を超える畳屋に

5代目の浅倉伸さん(右)と6代目の一哉さん。家業を守り、創業200年へ向け力を合わせる。

大和町吉岡にある『浅倉畳店』は、この地で150年以上も畳作りを続ける明治元年創業の畳店。創業から数えて5代目の浅倉伸さんによると、元々は仙台市の畳屋丁にあった仙台藩お抱えの畳職人の家で、その歴史は県内でも5本の指に入るそうです。藩政時代の記録は残っていないためその時期のことを知ることはできないが、「吉岡に移る際、役所の手続きを間違って「朝倉」が「浅倉」になったという話は先代から聞いています」と笑って話してくれました。現在は6代目となる息子の一哉さんと二人で畳を作り続けています。

畳作りは工程ごとの丁寧な仕事と経験が重要

伸さんが職人になったばかりの頃は地元の工務店からの仕事が主で、アパートに新たな人が入居する春先は特に忙しく、ほかの職人さん数人を使いながら作業を進めていたそうですが、現在は高品質な畳を求める個人や神社仏閣、リピーターの方など、発注元は時代とともに変化しています。いつの時代にも共通して大切なことは、「丁寧な仕事を貫く」ことだと伸さんが教えてくれました。「決まった寸法に切る作業一つとっても、雑な仕事をしたものは現場でぴたっと収まらないし、一見ちゃんと収まっていても痛みが早い」のだそうです。
一哉さんも、「材料も次々に新しいものが出てきますので、いろいろと試して常に研究することが信頼される仕事につながると思います」と話してくれました。
寸法に合わせて畳表をカット。ものにより機械と手作業とを使い分ける。
畳床に畳表を縫い付ける逢着作業。畳が並んだときにより美しくなるよう目をしっかりと合わせ、隠れる部分を丁寧に折り込み縫い付ける。
縁下紙を折り込みシャープな角が出るようにするのは縁を縫い付ける前の大切な工程。

家業に対する想いと継ぐという決断

職人歴50年になる伸さんに家業を繋いでいくことについて尋ねると、「子供のころから畳屋になると思っていました。私にとっては自然なことでしたが、“歴史を絶やしてはいけない”というようなプレッシャーはありませんでした。実際に、息子の大学進学が決まったときには自分の代で最後だと思って機械をすべて売ろうとしたこともあったくらいです」と答えてくれました。一方、一哉さんが家業を継ぐことを決めたのは今から約9年前。大学卒業後にIT企業へ就職し、3年が過ぎたころでした。かなり悩んだ末の決断だったといいます。「転勤をきっかけに家業を継ぐことを決めました。伝統的な畳を必要とする人や場所が減っていく中でもこの先50年やっていけるのか、会社員の安定を捨てて職人の世界へ飛び込んで大丈夫なのかなど、かなり悩みましたが、最終的にはもの作りが好きだったことと、自由度の高い働き方ができることが自分に合っていると思えたので決断しました」。

老舗の襷を次の世代へ

伸さんから一哉さんへ襷が繋がれた『浅倉畳店』は、後継者不足に悩む老舗も多い中では幸せなケースと言えるでしょう。「びしっと収まって、年月が経ってもずれないのがいい畳。そんな畳を作り続けていくことが大切」と言う伸さん。「職人としての腕一本で自分を育ててくれた父を尊敬しています。新しい素材や技術を研究し、『浅倉畳店』の“いい仕事”を積極的に発信しながら安定して仕事を続ける。そして次の代へと繋いでいきたい」と少し恥ずかしそうに話す一哉さん。そんな二人の様子からは、誇れる仕事をやり続けるという職人の矜持と、創業200年、さらにその先へと店の歴史を繋いでいくという思いが感じられました。
「同じ畳に見えても、寸法も向きもすべて違います。十分な下準備と技術がなければ現場でぴったり収まりません」と伸さん。
今では少なくなったという手縫いの工程。一哉さんは実家に戻った後、訓練校で学び一級技能士の資格を取得した。

データ

浅倉畳店

住所
黒川郡大和町吉岡字下町64
TEL
022-345-2653

※この記事は『大人のプレミアムマガジンKappo』で連載中の「仕事人を訪ねる」をベースに、誌面では紹介しきれなかった情報を加えた『みやぎで働く!』バージョンです。